どのような本か? |
説 |
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ゲルマニウム・・・あの健康鉱石で有名な・・・。この小説は、ゲルマニウム健康ブーム以前のものだから、それを示唆したことではないことは確かだ。事実、花村萬月の小説のほとんどは、そんな"陳腐"なおとぎ話で終わるような作家ではない。さらに"陳腐"なのだ。そして陳腐を極めると、性的興奮が起こる。それには理由がない。ただ著者がそうさせているのだ。読者はそれに飲まれ、つられて、性的興奮にも似た、エロ小説よりも激しい、著者の意図的な快楽に魅せられていく。 ただ彼の作品は、なぜか重たい。そしてなぜか"知りたい"という欲求が、方向性を問わず全てものに対して向けられる衝動が沸き起こる。これはきっと"生"の力だろう。田中ランディの「アンテナ」にも"生"の衝動が在った。等しく"性"の衝動も・・・。にもかかわらず花村萬月の衝動は、とかく重い。人間の欲をグロテスクに描いている点では、他の作家と同じであるが、・・・・・何をそうさせるのか。 人間の営みそのものが、否定されることのない清爽でただしい"性"のあり方だと、学校で教わったのなら、強姦は犯罪であり否定されるべきものだと理解できる。ましてや、"性"にたいして極度の潔癖性を抱くカトリック内での物語りなら、強姦や同性愛など、殺人罪と同等の罪だ。禁断の世界である。それらをしでかして、堂々と罪が許される主人公(ここからの悔い改めもなく)。犯されたいと願うシスターたち。幼い少年たちは、抑圧された性の解放を同性に託す。年老いた司教もまた少年を道楽に使う。 |